道程の景色と参拝神社 2016年11月23
「吉野神宮」 →
近鉄吉野駅駐車 →
(下千本) 「七曲坂」 ・ 「黒門」 → 「金峯山寺」 → 「東南院」 →
(中千本) 「勝手神社」 → 「善福寺」 → 「桜本坊」 → 「竹林院」 → (上千本) { 「桜展示園」 「三角点」 「大塔宮迎徳碑」
「火の見櫓」 } → 芳山展望台 → 横川覚範の首塚 → 佐藤忠信花矢倉 → 吉野水分神社 → 下山開始 →
千本口駅
9:10 吉野神宮
吉野神宮駅の交差点を、奈良県道39号から37号に左折すべきところを直進してしまい、予定にない吉野神宮に行ってしまいました。 結果的には、吉野山の他とは違い、人影も一人二人と静かで新しく立派な神社に参拝でき幸運でした。
神門を潜ると正面に外拝殿。一般的には外拝殿から、さらに拝殿を拝む形になっている。御祈祷などを受けるばあには拝殿前に入り行われるのであろう。拝殿の後方に流造りの本殿が建つ。
明治22年から25年にかけて、明治天皇の申し出により創建。大正時代に拡張再建され、昭和に入り改修再建などが行われ明治時代の面影は全く残っていない。
よって近代の神社建築の粋を表している神社のようです。
祭神 後醍醐天皇
9:30 吉野駅前出発
10:08 黒 門
10:17 金峯山寺 仁王門
10:25 金峯山寺 蔵王堂
11:00 東南院
11:06 勝手神社
「吉野神宮」 →


(中千本) 「勝手神社」 → 「善福寺」 → 「桜本坊」 → 「竹林院」 → (上千本) { 「桜展示園」 「三角点」 「大塔宮迎徳碑」
「火の見櫓」 } → 芳山展望台 → 横川覚範の首塚 → 佐藤忠信花矢倉 → 吉野水分神社 → 下山開始 →

9:10 吉野神宮

吉野神宮駅の交差点を、奈良県道39号から37号に左折すべきところを直進してしまい、予定にない吉野神宮に行ってしまいました。 結果的には、吉野山の他とは違い、人影も一人二人と静かで新しく立派な神社に参拝でき幸運でした。
神門を潜ると正面に外拝殿。一般的には外拝殿から、さらに拝殿を拝む形になっている。御祈祷などを受けるばあには拝殿前に入り行われるのであろう。拝殿の後方に流造りの本殿が建つ。
明治22年から25年にかけて、明治天皇の申し出により創建。大正時代に拡張再建され、昭和に入り改修再建などが行われ明治時代の面影は全く残っていない。
よって近代の神社建築の粋を表している神社のようです。
祭神 後醍醐天皇
9:30 吉野駅前出発

以下の写真を上の地図と右下のパンフコピーの地図を参考に見てください
最初の上り坂 − 七曲坂
今日はロープウエイは乗らず、七曲り坂を歩きます。
左図にあるように細い近道を直登すると、少しきついですが時間は短縮。
↑パンフよりコピー 吉野駅から黒門
10:08 黒 門
10:17 金峯山寺 仁王門
10:25 金峯山寺 蔵王堂
11:00 東南院
11:06 勝手神社
11:22 善福寺
11:29 櫻本坊
11:37 竹林院
遠くの秋の景色、たくさんの実を付けた柿木を楽しみながら、少し急な坂を上ります。
12:19 「桜展示園」 ・ 「三角点」 ・ 「大塔宮迎徳碑」 ・ 「火の見櫓」
「桜展示園入口」という案内板が。 案内板に従って入ってみます。
少し進むと「大塔宮迎徳碑
火の見櫓展望台から
火の見櫓から芳山展望台へ向かいます。
12:45 芳山展望台 (昼食)
13:16 大峯奥駆道
13:23 横川覚範の首塚
13:32 佐藤忠信花矢倉
獅子尾坂をのぼりつめたところにある吉野一の展望台、佐藤忠信花矢倉着きます。
眼下に上千本、中千本、蔵王堂を見下ろせ、金剛・葛城・二上山を遠望できます。
義経の忠臣、佐藤忠信がこのあたりで敵を防いだと伝わっているところです。
曲がり角には、「謡曲『忠信』と花矢倉」のタイトルの付いた板碑が「謡曲史跡保存会」によって建てられている。
そこには、吉野の義経逃亡の際し、自ら義経の格好をし、「我は義経なり」と追いすがる敵を引きつけ、敵の大将である
横川覚範という豪傑を倒した能「忠信」のことが記されていた。
この能「忠信」は、「義経記」巻第五がベースになって成立したものであるが、更にこの謡曲が発展して、江戸期には「義
経千本桜」という歌舞伎として脚色されたのである。
花矢倉展望台からの眺望
次に吉野水分神社へ
13:45 吉野水分神社
子宝に恵まれなかった豊臣秀吉が、こちらの神社で祈願すると息子秀頼が生まれたといいます。そのお礼として後年、秀頼が吉野水分神社の社殿を再建したという事です。社殿はその時のものだそうです。