鉄ドラの徒然フォト集

 

   道程       三重塔        境内地図        本殿(鬼瓦)         屋内拝観 (本堂) 
   開山堂・半増坊真殿の上り龍・降り龍)          上天台舎利殿) 
   勅使門・半増坊真殿         散策 (半僧杉 ・ 五百羅漢 ・表参道 ・ 哲学の道)
   方広寺地図         帰路

 

7:30 自宅を出発

 

下り手線の所々の渋滞また事故渋滞を見ながら、上りは順調に走りました
9:50 新城PAに到着
三ヶ日ICで下り静岡県道308号から68号線のルートは近道ですが、68号風越峠付近は狭隘道路でした。
パンフにもあるように浜松いなさICで下りるのが正解です。

 

住所 浜松市北区引佐町奥山 


 

 

 

 


 

      
 風越峠を下りた所の小川沿いに河津桜が満開です

 

 

 

      
 集落に入ると無人販売所 何時ものように止まります。   これだけで300円です


方広寺到着

 

 

10:40  やっと目的地到着 予想以上の3時間10分かかりました。

 

案内板に従って上がって来ました。駐車場横に三重塔があります。前のミツバツツジが美しいです。   

 

 

   

 

拝観受付で拝観料を支払本殿へ

本当は下の奥山無料Pに車を止めて参道を歩けば方広寺の良さが一層解ると思われます。私は山門と黒門を見落としてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左 本殿  正面 非常に大きな鐘楼

 

 

本   堂

 



本殿は写真中央の拝観入口から入ります

テレビで放映されたときに映っていたボランティアのガイドさんから何やら説明を聞いています

 

 

 

最近修理が行われ古い瓦が残されていました。目の前で見ると大きさに驚き、分割されていることを知りました。
 

 

新しくなっています。

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拝観入口でスリッパに履き替えて本堂に向かいます

 

 

回廊を通って本殿へ向かいます先ほどの瓦が見えています
    

 

本尊の釈迦如来に参拝

方広寺


方広寺は末寺170ヵ寺を擁する臨済宗方広寺派の大本山で、井伊家の一族・奥山六郎次郎朝藤(是榮居士)が後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師を開山と仰ぎ、建徳2年(1371)の建立した寺。寺名を深奥山方広寺(方廣寺)というのは、開山禅師が悟後の修行をされた中国の天台山にこの地形が似ていたので、そう付けられた。
 開山・無文元選禅師が在世のころは常に五百人の修行僧が参禅弁道していたと寺史に誌されてあり、妙心寺第四代の長老・日峯宗舜禅師もここで開山様について修行の末に見性(最初の悟り)したと記録をとどめている。境内にまつる五百羅漢はその姿を象徴したものである。
 鎮守の”半僧坊大権現”や”椎河龍王”はいずれも開山の遺徳にまつわる縁起によるもので、当山の管長が金糸菊花紋章入りの袈裟を着用するのは開山(皇子禅師)の後継者たる格式による。
 開山が中国各地を参拝して帰国される海上で難破の危機に遇い、半僧坊の力によって海難を免れたという故事に因んで厄除、商売繁盛をはじめ諸願成就の祈願所として全国各地から多くの人々が参詣する。60ヘクタールの境内には、本堂、半僧坊真殿、三重の塔など60余棟の伽藍を擁する古刹です

<本堂>


 建徳2年(1371)に建てられた本堂は、数度の山火事による類焼をうけ、現在の本堂は明治38年(1905)長山虎壑管長の発願により大正4年(1915)に完成した。
 本尊釈迦如来、脇侍に文殊・普賢の二菩薩が安置されており、正平9年(1354)に仏師「法橋院遵」「法眼院廣」「法印院吉」の3人によって彫刻された木像で、元禄の頃水戸の徳川光圀(黄門)の命により修繕したと背面に誌されている。もとは茨城郡古内村の清音寺に祀られていたものを明治末に当山に移したと誌されている。
 西側の”勅使玄関”は、当山が皇室ゆかりの寺ゆえに、しばしば勅使の参向を受けており、その際、勅使が出入りした玄関である。平成22年(2010)8月、百年ぶりの大改修工事と耐震工事を行った。

 

祭殿の左側に飾り雛が吊るされてます。

 

大本堂から出て川の向こうの彼岸の地を見ながら、煩悩の多い此岸(しがん)の我々が回廊を進みます

 

 

途中観音堂に参り渡り廊下を開山堂に向かいます。

 

 

開山堂から勅使門と開山の庭

<勅使門・開山堂・開山無文元選禅師>

 勅使門の奥に開山堂が建っている・開山無文元選禅師は後醍醐天皇の皇子で延元4年(1339)に天皇が吉野で亡くなるや、翌年、京都建仁寺の普光庵で剃髪、出家し雪村友梅禅師について修行され、さらに3年後に中国に渡り、建寧府高仰山大覚寺の古梅正友禅師のもとで7年間、大変な修行をされて、遂にその印記(印可証明と大戒をうけ正平5年(1350)に帰国した。
 開山はその後、京都・鎌倉をはじめ各地を行脚、僧俗を接化され、建徳2年(1371)奥山是榮居士の請を容れてこの寺の開山となった。開山は、元中7年(1390)閏3月22日、当山で示寂(逝去)された。
 開山の廟を黙霊塔といい、宮内庁の記録に”無文元選王廟”と記されている。光格天皇から”大慈普應禅師”、明治天皇から”聖鑑国師、昭和天皇から”圓明大師”とそれぞれ勅諡されている。
 現在の開山堂は昭和10年(1935)、足利紫山老師が建立したももで、それまでの假開山堂は、いま禅堂として建てかえられ、雲水たちの修行の場になっている。

昇り龍・降り龍

 開山堂真殿の上がり口には一対の「昇り龍・降り龍」は欅の一木彫りで、作者は左甚五郎の孫弟子に当る後藤岩五郎といわれる。

 

 

 

 

精巧さは凄いです

 

 

龍の顔を探してみました

 

この迫力は凄いです

 

 

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再度此岸(しがん)の廊下を通り階段を上って舎利殿に向かいます

 

美しい瓦屋根と三重の塔

 

 

涅槃の庭  6本の沙羅双樹の木が植えられています

      

 

 

 

舎 利 殿

 

 

 

開山無文元選禅師の御廟の下に納骨堂上天台舎利殿(じょうてんだいしゃりでん)があります。
舎利殿は本尊聖観世音菩薩をお祀りし、正面には三重の塔、遠くには新緑の山々が重なり合って見えます。また初夏には沙羅双樹の花が咲きます。舎利殿にはお釈迦様の歯が納められているようです。

 

今日はボランティアのガイドさんの説明を聞きながらの拝観だったので非常に勉強になりました。

 

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   方広寺宿坊で昼食

 

昼食後外に出て改めて半僧坊神殿にお参りします

 

 

写真右 開山堂 左に勅使門 この奥隣に半僧坊神殿があります

 

 

 

 

    

 

 

何故か笛が彫り込まれています。                         修行用の下駄でしょうか
     

半僧坊大権現


正平5年(1350)中国天台山での修行を終えられた開山は、正法の禅を伝えるため明州を船出、帰国の途についたが、途中東シナ海に大暴風雨がおこり、乗船はいまにも難破しそうになった。
 このとき、眼光炯々(けいけい)たる一偉人が船首に出現し「われ、この船を守り、禅師を護り奉って必ず故国にお届けつかまつらん」といって船師を指揮し、無事に博多の港に着けた。
 後に開山が、この方広寺を創かれたときまた先の偉人が現れ「お弟子にして頂きたい」と懇願、開山が「汝はそのままで半ば僧である。あえて剃髪するに及ばず」とのお許しを得て開山に仕え、末永く当山の鎮守として方広寺を守護されている。それが半僧坊大権現です。毎年10月に御大祭が行われている。

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参拝後 お守りを買い表参道の道を聞き五百羅漢に向かいます。

 

           

 

 

半 僧 杉

<半僧杉>


 当地方第一の老杉で、根廻り7.55m、目通り5.75m、樹高43m、枝張り19mで樹勢は良好である。
 明治14年(1881)、三河地方から発生した山火事の折り、ときの住持東明禅師は燃え来たる大火の中で半僧坊神殿に籠り一心に祈願、渦巻く黒煙の中に何処よりともなく鈴の音が鳴り響き、師は柱杖を持って燃え盛る火炎を左右に切りさばく半僧坊の姿を拝した。やがて火事は治まったが、そこには一本の緑ひときわ濃い大杉がそびえていた。この大火に中で、明治11年(1878)8月に再建されたばかりの半僧坊と七尊菩薩堂とこの大杉だけが不思議に焼け残り、以来この杉は方広寺の御神木すなわち”半僧杉”として今日に語り継がれている。

 

石 橋 と 五 百 羅 漢

 

 

今日は四体でした

 

<五百羅漢>


 羅漢さんは正式には阿羅漢(あらかん)といい、小乗の悟りをきわめた仏弟子のことです。
 宝暦年中(1751〜1763)方広寺輪番だった拙巌和尚が円覚経を提唱しようとして大蔵経をしらべ、羅漢さんがこの世に現存して仏法を護るという内容を読み、また開山圓明大師が中国で修行中、天台山の石橋に茶を献じられたとき、羅漢さんが現れて開山を祝福されたとの故事、更に開山がこの方広寺に住山しておられた頃、五百人の修行僧がここで開山の弟子として参禅していたこと等を象徴して、五百躰を彫刻させ、明和7年(1770)に完成、境内全域におまつりしたもの。
 昔から「五百羅漢のなかには必ず自分に似たお顔がある」といわれている。このユーモラスな姿から自分によく似た羅漢さんを見つけ、対面するのも一興でしょう。

 

 

参道を進むと、途中で右と左に分かれるポイントがあります。裏参道へは左の道を進みます。ここが「哲学の道」です
ここまで本堂から10分 この先に山門がありますが私は哲学の道をPに戻ります。

 

「哲学の道」は京都東山から南禅寺疎水添いにある「哲学の道」を西田幾太郎先生が(大井管長が西田哲学を継承)散策され、これに因んでつけられたという。

 

 

 

森林浴を楽しみつつ散策
参道は深い緑に包まれています。
ところどころに安置されているのは石でできた五百羅漢。優しい表情で静かに参詣者を見守っています。

 

 

 

 

 

椎河大龍王堂

方広寺にゆかりのある龍神様をお祀りしています。
その昔、方広寺の開山さまが行脚をされていたときのこと。現在の浜松市天竜区鹿島のあたりで、増水した河を渡るのに難儀されていたところ、龍神様が現れ、そのお姿を橋に変え、開山さまをお渡ししたという伝説があります

 

 

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車に戻ると13:15 と早かったので奥山高原の梅林へ

 

    

 

中へは入らず麓の桜を見ながら帰りました

 

 

 

帰りも浜松いなさICには行かず県道68号線の隘路を走り三ヶ日ICから高速へ

 

高速では上り線の渋滞、四日市付近では、また事故と渋滞を見ながら下り線は時間が少し早いためか意外と順調

 

5時ジャストに自宅到着

 

総走行距離 385Kmのドライブでした











 

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