2014年4月5日 道程
自宅 7:15 出発 → 新東名 → 沼津長泉IC → 長泉JC → 函南塚本IC [伊豆縦貫自動車道(東駿河湾環状道路)] 伊豆中央道入口 → 大仁中央IC [伊豆中央道] → 静岡県道(19号線) → (スカイライン入口) → 135号線 伊東マリンパーク → ベルクルーズ → ホテル
2014年4月6日 道程
ホテル出発 → 伊豆高原桜の里 → 静岡県道111号線 → 伊豆スカイライン(伊豆高原) → 氷川IC 県道12号線 → 修善寺IC [修善寺道路] → [伊豆中央道] →大場川南IC [伊豆縦貫自動車道] → 136号線 → 三嶋大社 → 長泉IC [伊豆縦貫自動車道] → 長泉沼津IC [新東名] 自宅 19:20 着
総走行距離 762Km
東 駿 河 湾 環 状 道 路
伊豆縦貫自動車道とは、沼津市を起点とし下田市に至る延長約60kmで計画されている国道の自動車専用道路のことです。
平成26年2月11日(火・祝)に開通した東駿河湾環状道路は、伊豆縦貫自動車道の一部、沼津岡宮IC(インターチェンジ)から函南塚本ICまでを構成する道路のことを指します。
東名・新東名高速道路〜伊豆中央道へつなぐ
東駿河湾環状道路は、昭和63年度に事業化され、平成21年7月に沼津岡宮IC(東名高速道路に接続)から三島塚原IC(国道1号に接続)までの10kmが開通し、今回、(2014年2月11日)三島塚原ICから函南塚本IC(伊豆中央道・修善寺道路に接続)までの約6.8kmの区間が開通しました
東駿河湾環状道路計画概要
区間 沼津市岡宮〜田方郡函南町平井
延長 約15km
設計速度 時速80km
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走行日 2014年4月5日 伊豆高原まで以前よりすごく短縮された気がしました。
9:40 浜松SA到着

今日は富士山 雲がかかって頂上見えずです。 11:30 沼津SA 相変わらず混んでいます

ベ ル ク ル ー ズ
13:05 道の駅 伊東マリンタウン到着 早速ベルクルーズ乗船します
コースは初島コースです
13:10 出航
犬の語らい
かもめの餌付け

大室山
国道 135号線 これから走ります。これほど勾配があるとは今まで気づきませんでした
初島 ビルが完全に見えたかなー ?
熱海方向
上記写真の位置 熱海が見える沖合に来ているようです。左の岬は江川崎でしょうか (カメラGPSより)
マリンタウン後方のアリーナ
14:00の昼食になってしまいました
伊豆高原桜の里に向かう途中にありました
この地点 鉄道写真スポットのようです
ワンワンホテルのドッグランで 以前は走りまわったけれど !!
夕食はアンビエントで
伊 豆 高 原 桜 の 里
三 島 大 社
12時前に三島に着きましたが駐車に20分程の並びで止めることが出来ました。
大鳥居から参拝します
、稚児健康祈願祭とかで、たくさんの屋台も立ち多くの人で賑わっていました


神池の亀は開運亀と言われていて、見ると幸せになれるそうです。
総門
外構えの門 建築中伊豆震災にあったが昭和六年三月竣功 初めて台湾檜が使用された。昭和の神社建築の代表的建物の一つに数えられ格調の高さは有名である。 当時の内務省神社局技師角南隆氏の設計監督である。 (総工費当時約七万円) 旧総門は一部改修して芸能殿として保存。
神馬舎
神馬は慶応四年七月十日完成 旧神馬舎に納められていたが戦後現在の神馬舎が完成し移したものである。 古くから当社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登ると言う伝説があり旧神官はお馬様が帰ったと言って朝食をしたと伝えられ子供の成長と健脚を祈る風習がある
手水舎
神社仏閣巡りでちょっと気になる手水舎。三嶋大社の手水舎の水口は龍とかはなくシンプルです。
神 門
左から 西五社 ・ 見目神社 ・ 若宮神社
神門をくぐると、左手に見える境内摂社の、西五社、左から幸神社・第三社・聖神社・天神社・大楠社、見目神社(若宮神社と同じく御本社と最も関係の深い社で摂社と言う 御祭神は三嶋大神の后神六柱を祀る 昔は御本社大祭の前々日幕府より奉献の玉簾を在庁(将軍の代理)が奉持し此の社前で検分の上神主に渡す儀式が行われた 慶応四年九月三日再建)、若宮神社(古くは八幡宮・若宮八幡宮又は若宮社等と呼ばれた 御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である 例祭は八月十五日で御本社大祭の前日に行われる 慶応四年八月二十日再建)
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舞殿
古くは?殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが、後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった 現在は舞の他 田打ち神事(県無形文化財)・豆撒き神事鳴弦式神事などの神事の他祈祷等も行う 慶応二年十二月十八日の再建で昭和五年の伊豆震災の復旧工事まで一部改修を行ったものである。
後方が拝殿
三島大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(一一九二〜一三三三)初期には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。 一遍聖絵の社頭と現在のそれとではかなり異なり、消失記録をみると、文永五年(一二六八)と永仁四年(一二九六) に焼け、また延享元年(一七四四)と安政元年(一八五四)の地震で倒壊している。今の社殿は万延元年(一八六〇)から明治二年(一八六九)にかけて再建されたものである。 本殿は流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟には千木・鰹木をつけている。拝殿は入母屋造(上部を切妻屋根とし、下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、前面には三間の向拝をつけ、正面に千鳥破風と軒唐破風がつく。両殿の間には軒下に納まるように相の間がつくられている。この建築の様式は権現造といわれている。全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ二三m、鬼瓦の高さ四mという豪壮なものである。 彫刻は伊豆国名工小沢希道、駿河国名工後藤芳治良がそれぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。
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御祭神
大山祇命[おおやまつみのみこと]、
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
拝殿の注連縄少し変わっています
舞殿
左側 舞殿 中央 金木犀 右側 神門天然記念物 三嶋大社の金木犀
樹高 約十米 目通り周囲 約四米 枝條 約二百五十平方米 昭和九年五月一日文部省告示第一八一号により文部大臣から国の天然記念物の指定を受けた 学名を薄金木犀という 九月上旬より中旬にかけ黄金色の花を全枝につけ再び九月下旬より十月上旬にかけて満開となる珍しい老木で樹齢凡そ壱千弐百年幾百星霜子魃や霖雨に堪え又は風雨に侵されるも樹勢尚旺盛にして葉の光澤も美しく新緑に輝き誠に神々しい御神木で日本一のキンモクセイである 開花時には馥郁たる芳香りを放ち風向きによっては10粁に及ぶという」 「この樹木はウスギモクセイの雄木として、日本有数のもので、大社の神木として大切に保存されている。樹齢は一二〇〇年を数えると伝えられ、訪れる参詣者の目を引いている。 根回り約三m、高さ地上約一mのところで二大枝幹に分かれている。枝の展開は円形であり、その先は地面に届くほど垂れている。 九月上旬から中旬にかけて一度開花し、九月下旬から十月にかけて再び開花する。 淡黄色で可憐な花をつけ、甘い芳香を発するが、その香は神社付近はもちろん、遠方にまで及び、時には二里(約八Km)先まで届いたと伝えられている。
東五社
左から船寄社・飯神社・酒神社・第二社・小楠社
拝殿前から神門
お守り買いました
ちょっと失礼してパチリ、桜には和服が合います。
帰り道 満開の桜をメインに
13:15 駐車場にもどって来ました。 焼く55分の参拝でした
さあ これから300Km走ります
14:40 SA到着 昼食です
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